周辺案内
豊かな自然やお食事処、
名所・温泉に恵まれた周辺環境です。
ふじの森ホスピタルから車で15分圏内にある、様々なお食事処、名所、温泉施設をご紹介します。
お食事処
※公式ウェブサイトのあるものはそちらへリンクしています
- 湛然の里(そば)
- 田舎(瓦そば)
- 森のレストランOTTO
- 山カフェレストラン KUREHA (クレハ)
- 熊の川温泉ちどりの湯
- リバレイン 華のや
- ラーメンハウス
- かつみうどん
- しゃくなげの里直売所
- ONCRI (オンクリ)
- 熊野川
- caffe るるど
- ぎゃらりー松梅
- 魚亭 菊や (きくや)
- カレーのアキンボ
- パーシモン
- 鶏めし名尾庵
田舎(瓦そば)
森のレストランOTTO
山カフェレストラン KUREHA
かつみうどん
しゃくなげの里直売所
ぎゃらりー松梅
ONCRI (オンクリ)
熊野川(アマンディ内)
名所・観光地
※名称をクリックすると説明が表示されます
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佐賀最大の人造湖「富士しゃくなげ湖」を形作る2012年竣工のダム。佐賀の戦国武将、神代勝利が隠居した畑瀬という集落も嘉瀬川ダムの底に沈んでいる。
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中国の詩人・科学院長・元副総理。大正13年から熊野川温泉に滞在。作品において熊野川一帯を下記のように描写している。
「夕日が川上川の川面に照っていた。澄んだ清々しい流れがきらきらと輝く白い石の間から歓呼の声をあげて、湧き立っていた。青翠の寒林、まっかなまんじゅしゃげ、黄金色の柿のある両岸の高い山も、一進一退して人に向かってうなずき微笑しているように思われるのだった。」
昭和41年4月、文化大革命で燕山夜話など一連の夜話3題を書き、真っ先に自己批判を行った。 -
鍋島家菩提寺高傳寺の11代住職で名僧の湛然(たんねん)和尚の大慈悲の心を世人に伝え、又文化・芸術を通して里山の四季の良さを多くの人々に知ってもらい、「ふれあいの場」として活用することを目的としている。
湛然和尚や華蔵庵等の史跡、「華蔵庵棚田」の里山の景観、名産干し柿等の地域資源を活かして、「葉隠」の講演会や勉強会、里山のスケッチ会、干し柿作りや干し柿を使ったお菓子作り、その他コンサート等を「湛然の里」をベースに開催して同地区の活性化を目指している。 -
今から2200年前、秦の始皇帝から不老不死の薬を探す命を受け日本へとやってきた徐福にまつわる話を徐福伝説という。
佐賀にたどり着いた徐福は、蓬莱山に似ている金立(きんりゅう)山に向けて出発するが、道が荒れ歩くのに困難な状態だったので、布を敷き歩きやすくして進んだという。現在の佐賀市金立町千布に達した時、ちょうど千反の布を使いきったので、この地域を「千布(ちふ)」と呼ぶようになったといわれている。
徐福は金立山山頂で仙人に会い、不老不死の霊薬を手に入れる。これはフロフキといわれ、現在でも金立山に自生。フロフキは不老不死がなまったものともいわれている。 -
佐賀の嵐山とも呼ばれている景勝地。春は桜、4〜5月には約800匹にも及ぶこいのぼりの吹流し、8月には花火大会や灯ろう流しが行われ、観光客を楽しませている。
周辺には、由緒ある寺院や神社、季節の花を楽しめる日本庭園、そして山の中腹に残る巨石群など見所も多い。 -
毎年10月下旬~11月下旬に、収穫後の田畑を利用して、国道263号線沿いに昭和のこどもの遊び、農作業風景などを題材にした、かかしを展示している。
また、祭り期間中の土日祝日には、地元で採れた新鮮な農産物の販売も行っている。 -
古湯温泉と熊の川温泉の中間地点に位置し、奇岩や巨岩が作る複雑な水の流れとダイナミックな景観が見どころの自然公園。
駐車場から階段で下りていくと、見えてくるのが巨大な一枚岩の上を流れ落ちているエメラルドグリーンの水。四季折々の変化に富んだすばらしい自然景観の中、大小の奇石が折り重なるように連なっている。また、景色の美しさを引き立てる朱塗りの鳴瀬橋は一見の価値あり。
遊歩道や橋が整備されているので散策が楽しめ、夏場は避暑に、秋には紅葉の景観が楽しい名所。 -
與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。
「淀姫神社」とも書き、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。
『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)には、「與止姫神」のまたの名を「豊姫」「淀姫」というとある。また、同書佐嘉郡条には「世田姫」の説話が載り、同一神と見られている。 -
奈良時代から平安時代前期にかけての肥前国の中心となった役所跡で、昭和50年から10年間の発掘調査が実施され、政庁跡区域と、その内外の主要な建物跡が見つかり、国庁跡の全容が明らかとなった。
南北約105メートル、東西約77メートルの平面長方形に巡る溝跡と、その内側の築地によって囲まれた空間に、前殿・正殿・後殿が南北中軸線上にならび、前殿の東西両側に各2棟の脇殿を配置している。また正殿の東西には回廊が取りつき、郭内を南北に二分し、南門は築地を内に曲げて八脚門を設けている。
また、政庁域周辺にも国庁の政務を分担した役所にあたる多くの曹司(そうじ)や税を収めた正倉(しょうそう)群が存在した。
肥前国庁の構造は、大宰府政庁との類似性が指摘されているが、行政組織だけではなく、国庁の造営に関しても大宰府のつよい影響がうかがわれる。
国庁の内部が明らかになった遺跡は全国的にも珍しく、南門と築地塀(両翼10m)が復元されている。 -
神代勝利(1511~1565)は肥前国を代表する戦国武将の1人である。勝利は少弐氏に属し山内(現在の佐賀市北部)に勢力を培い、その武勇と知謀によって一躍肥前の有力武将に成長した。少弐氏が龍造寺隆信によって滅ぼされたあとも、隆信に屈せず、互角に戦い晩年に隆信と和睦をし、子孫は鍋島氏の重臣となった。勝利は畑瀬城(佐賀市富士町)で永眠後、畑瀬山宗源院に葬られた。
墓碑は、石垣の三段積で、玉垣で囲み、台の上に石門があり、、墓石は宝篋印塔で、基礎・塔身・笠・相輪で構成されている。
東畑瀬の宗源院にあったが、嘉瀬川ダムの建設により、ダム堰堤の左岸、畑瀬トンネル近くのダムの水面を眺められる高台に移設されている。 -
古くは、肥前風土記にも記された大和町下田山中の巨石群。10メートルをはるかに上回る石たちは、肥前国一の宮として栄えた与土日女神社のご神体と考えられている。
山の中腹には釣り体験コーナー、天然芝の多目的広場なども。 -
三瀬村の山あい85万m2に広がるフランスの田舎風観光牧場。
広大な牧草地があり、牛や馬、ウサギなどさまざまな動物が見られる。動物ふれあい広場でヤギや馬にエサをやったり、草スキーを楽しんだりと楽しみ方もいろいろ。
生キャラメル等の手作り体験や道産子の乗馬体験、陶芸体験などもできる。
嘉瀬川ダム
郭沫若(かくまつじゃく)の碑
神代勝利公墓
巨石パーク
川上峡
雄淵・雌淵公園
地場産業
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- 名尾和紙
- ぎゃらりー松梅
- 道の駅 そよかぜ館
名尾和紙
道の駅 そよかぜ館
名物(白玉饅頭)
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名元祖 吉野屋
温泉施設
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- 熊の川温泉
- 夢千鳥(ゆめちどり)
- 湯招花(とうしょうか)
- 民宿みみ
- 熊の川温泉浴場
- ちどりの湯
- 古湯温泉
- 鶴霊泉(かくれいせん)
- 山あかり
- 東京家(とうきょうや)
- 民宿 幸屋(ゆきや)
- 扇屋(おうぎや)
- 杉乃家
- 旅館 大和屋
- 清川(きよかわ)
- つかさ
- 山水(さんすい)
- 千曲荘(ちくまそう)
- 古湯温泉ONCRI/おんくり
- 英龍温泉(えいりゅうそう)
- 川上峡温泉
- 三瀬温泉